山月記!

マイルーム代表です!

私は30年ほど塾で国語を教えています。
最近、近所の高校生の国語力の低下が、本当に心配です。

10年前は同じ範囲・同じような問題で平均点70だったのに、いまや45が当たり前。
しかも、生徒たちは「国語をやっても無駄」と思い込んでいます。

学校の授業も、正直ひどいものです。
地方公立は出来の悪い教師が回され、
子どもたちに「国語なんてやっても意味がない」という空気を植え付けています。

そんな中、去年の高3生は、
7人中6人が偏差値40前後 → 9月には60突破。
一般入試では、受けた大学すべてに合格しました。
(学部・学科の細かい志望は除きますが。)
合格実績は、
同志社大学
関西学院大学
関西大学
近畿大学
龍谷大学
京都産業大学
など。

これは、がむしゃらな勉強の結果ではありません。
正しい読み方、正しい考え方を身につけた結果です。

がむしゃらな学習では、国語は伸びない。

今の子たちは、
自習室で何時間も勉強している
ノートが真っ黒になるまで頑張っている

それなのに、国語は伸びない。

なぜか。
正しい読み方を知らず、
がむしゃらに問題を解くだけだからです。
問題文を正確に読む力
筆者の言いたいことをつかむ力
設問の意図を見抜く力

これらを育てなければ、
どれだけ勉強しても国語は伸びません。
山月記を読んでいるのに、誰もわかっていない。

ちょうど今、学校では山月記を習っています。
しかし、驚いたことに、誰も本質を理解していません。

「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」。
李徴の悲劇は、いまの高校生たちそのものです。
失敗することを恐れ、本気になれない
根拠のないプライドだけは高い
そして、何も変わらないまま、時間だけが過ぎていく

「隴西の李徴の出来損ない」。
本当に、そう言いたくなる子が多いのです。

本当に読むということ。

国語を伸ばすというのは、
自分の思考の粗さ、理解の浅さに向き合うことです。

それは、痛みを伴います。
でも、そこからしか、本物の力は生まれません。

がむしゃらに書き殴っても、
「答え合わせ」で満足しても、
何も変わりません。

もし、
「何かを変えたい」
そう思っているなら、
正しく読むことと向き合ってほしい。

未来を、李徴のように悔やみたくないなら。
ぜひマイルームへ!